こんにちは。
中高大生アスリートのカラダの育て直し専門家
矜恃ノススメ 西川菜緒子です。
西川が「今なぜこんな仕事をしているか」
「どんな人なのか」
知ってもらおうという自分語りシリーズです(〃∇〃)

私はバブル期に女子大生だった昭和育ちの人間です。
「いい学校行ったら、いいとこ就職できて、いい人と結婚できる。
だから勉強せなあかん!」と言う母親に育てられました。
対して父親は広島原爆の生き残りで
身一つで商いを始め軌道に乗せていた人。
「女じゃからいうてそれを言い訳にするような
生き方だけはせん方がええよぉ。
人に騙されてもつまらんから本は読まなぁいけんね」
と言うような人でした。
母親の言う「いい」って、
一体なに?その価値観?!と
今でもツッコミたくなりますが(笑)
小さい頃は「良妻賢母」に憧れたものの
高校生になる頃には
母親の思想にすっかり嫌気がさし
父親と姉の影響もあって
「自立した女性」に憧れるようになっていました。
姉は頭が良くて努力家。
心理学を学びたいと社会学部に進学してましたが
私の方はモヤモヤして暮らしていました。
今から思えば職業や仕事なんて
ありとあらゆる分野があるのに
「お医者さん」「お店屋さん」「商売人」「サラリーマン」
「画家」「ピアニスト」「ファッションデザイナー」
「先生」「事務員さん」
みたいな感じでしか思い浮かばず
【なりたくない】 or 【なれそうにない】
という発想しかなく
自分は何になりたいか?
がまったく見つけられずにいました。
「自立した女性」とは
「自分で稼ぎ生活できる人」。
そこにプラスして
「自分の好きなことで収入を得られる」
という要素も入ってきてたのですが
はてさて何に???
自分の好きなことって何なんやろ???
と考えるとモヤモヤが一層濃くなってました。
一方で
恋愛や友達関係、行事を楽しむ学校生活を送り
勉強は「成績を取るための勉強」で
早くから苦手だった理系は捨て
好きな文系科目で
高得点を取るための勉強しかしない浅はかな女子高生でした。
当時は「高身長・高学歴・高収入」の三高が
結婚相手として最高だという価値観や
ブランドものや毛皮を着たり
高級車を乗り回したり
「ステータス」なんて言葉が定着した時代。
大学進学先を決めていく段になり
絵や音楽、スポーツ、何か得意な技能があって
志望校を見つけられる人がうらやましかった。
でも得意な技能もなく
好きなことも思い浮かばず
何になりたいかも見つからず…
しかし決めねばならない。
せめて「好きなこと」をと思って
何とか国文学科に決めました。
偏差値時代の受験勉強は人並みに頑張りましたが
そんな動機で入った大学だったので
結局またモヤモヤしながら
バブル期を女子大生として過ごし
「見つからないままの就活」突入。
私が人事の人間だったら
「こんなコ、別に要らんわ!」みたいな学生でしたが
売り手市場だったため内定はもらえました。
無事就職したものの
2回生のときにアルバイト先で知り合ったオットと
色々ありつつ4回生のとき出ていた
結婚話がものすごい勢いで決まりました。
母親が気質的に難しい人で
夫婦円満家庭ではなかったため
「家庭」というものに
一切のあこがれを持っていなかった私。
でも素直に
当時はオットが好きだったし
母親のいる家から出れることが嬉しくて
24歳の誕生日を迎える1ヶ月前に挙式。
3年ぐらいは共働きで楽しもうと思ってたのに
すぐに妊娠。
結婚翌年に長男出産。
その4年後に次男出産。
結婚から6年くらいはジェットコースターのような日々。
(もう一回やれと言われたら絶対に断ります。)
子育てと家事、嫁としてのこもごも。
狭い世界のなかでの日々が過ぎていきました。
この頃は心許せるママ友もおらず
田舎だったため「公園デビュー」なんてどこの話?
というくらい誰もいない。
しゃべる大人がオットだけ、なんて日もありました。
近年、多くの人が発信する「子育てブログ・漫画」などを読むと
当時を思い出して「キュン」となるくらい日々悩んでいたものです。
凝り性だったため「ひよこクラブ」などの雑誌や
育児本を暗記できるほど読みまくっては実践してました。
当時大きな影響を受けたのは「心の基地はお母さん」シリーズ。
私の誤った育児観を根底的に覆してくれた本。
お母さん側に寄り添うスタイルの育児本が多かった中で
子どもの本質というものに焦点を当てていて
目からウロコでした。
そこで説かれる理想の子育てはできなかったけど
子どもに対するものの見方がまったく変わりました。
そしてある夜
オットと子育てのこと、お金のことで口喧嘩になりました。
このとき衝撃的な一言を投げかけられ
私の人生は大きなターニングポイントその1を迎えるのです。
ここまで読んで下さって謝々多謝![]()