西川こんな人②/暗黒計画(笑)発動

こんにちは。
心技体のお手入れ専門トレーナー
矜恃ノススメ 西川菜緒子です。

西川が「今なぜこんな仕事をしているか」
「どんな人なのか」
知ってもらおうという自分語りシリーズです(〃∇〃)

一つ一つの話がブログ以上に長いですが
我慢できる人だけ読んで下さいませ。


 

葉っぱ婚して6年目。

長男は幼稚園年長、次男は2歳だったある冬の夜。

オットと子育てのこと、お金のことで口喧嘩になりました。

私にグダグダ理屈で責められたオット、頭にきたんでしょうね。

「そんなに嫌やったら出て行ったらええやん」と一言。

一方的に溜めた不満を話し合うことで何とかしようと
必死な気持ちで切り出した私だったので
その言葉は絶望的かつ衝撃的でした。

わぁ…それを言う?言うてまう?
この人とはもう無理。

と思いましたが
離婚に対して即!
現実的思考が働きました(この辺が我ながら図太い)。

住んでいる家は、夫の実家の全額出資で建てられた家。
ややこしい性格の母親がいる実家に帰るのは死んでも嫌。

私どこに行く?
子どもはどうする?絶対手放したくない。
どうやって養う?
1人だけなら何とかなるかも。
いや、でも、兄弟二人、私の勝手で離ればなれなんて
酷なことはしたらあかん…

大学卒業して就職した翌年に結婚、
すぐ妊娠出産した私には貯金もない。

何の技能もない。

どこに住んでどこで働くか。

このまま離婚しても
オット側が主張したら親権ももらえない。

 私って…
 な~んにもない………

真っ暗な闇の中で
寒さも足のしびれも忘れて
床をじーーーっと見つめた夜のことは
今でも忘れられません。

真っ暗な深い深い底なしの穴を覗き込んだような。

その深い穴は
ずっとモヤモヤしてきたくせに
三十歳まで何にもせず
自分で空けてきた穴だったのです。

自分自身が情けなくて
涙が出て出てしようがありませんでした。

子どもが寝ているお布団に入ったとき
その温もりと寝息にまた泣けてきました。

しかし子育て中の私には
普通にこなすべき育児、家事労働の
「待ったなしの日常」があって
泣いてばかりもいられません。

実家は昭和の一般的家庭でしたが
母親が気質的に難しい人で
夫(私の父親)に対する不平不満を
子ども(私と姉)にぶつけて当たる家庭でもあり
「両親の不仲」が子どもに与える影響を身を以て知っていました。

だからオットとも完全な不仲になりたくなくて
切り出した話し合い…のはずがあえなく撃沈。

(でも今から思えば
相手にばかり要求していたのです。
なんせ「な~んにもない」人間だったので…(-_-;))

離婚しよう。
実家には帰らない。
そして子どもは二人とも絶対に引き取る。

このことだけは心に決めました。

二人を引き取って育てるだけの
お給料がもらえる仕事をするには
何か手に職が要る…!

と思い、
生協の共同購入で
「全資格ハンドブック」本を手に入れました。

できるだけ取得するのにお金がかからず
自分が少しでも興味のあること
頑張ってきたことで
就ける職業って何があるやろう?と探しました。


(鳥好きなので「ひよこの雌雄判定士」なんて資格も本気で考えました(笑))

 

私が頑張ってきたこと…
家事と育児…?

「怒らない優しいお母さん」にはなれてないけど
少なくとも「子どもを幸せにしたい」という思いで
育児本や児童心理学、発達学の色んな本を読んで
食事やおもちゃや絵本や何や
調べて選んで…ってやってきたよね…?

健診で知り合ったママ友から
「ようそんな詳しく知ってるよねー(゚ー゚;」
って半ば引かれ気味に言われてきたよね…?

「心の基地はお母さん」シリーズで感動して
子育て観変わったよね?

あの本の中の誤った子育てをされてきた一人が
自分やったよね?

子育てに悩んでるお母さんたちに教えてあげて
そういう子ども減らせたら、って思ったことあったよね…?

…そこで浮かんだのは
「幼稚園の先生」と「保育士さん」でした。

しかし幼稚園教諭資格は
通信教育の他、スクーリングにも行かねばならず
その費用や場所、拘束日数的に難しく
次男が幼すぎて諦めました。

そこでふと思い出したのが、
数年前にかかってきたNさんという
うちの裏手に住んでいた女性からの電話でした。

Nさんは離婚して実家に帰られていたのですが
「西川さんへの御礼と近況報告です。」と電話をくれて
ん?御礼?と思って聞いたら
彼女が悩んでいたときに私がした話(内容は割愛します)で
離婚を決心できたとのことで
自分が人の離婚の後押しをしていたことに内心驚きました。

そのときNさんが
自立するために「保育士試験を受ける」と言ってたんですね。

さっそくNさんに電話して詳しく聞きました。
(以下2000年当時の試験制度)

*保育士試験は年に1回
*厚労省管轄の国家試験
*専門の学校を出ていなくても
3年間で指定される科目をぜんぶ合格していけばいい
*都道府県で時期はずれるが
奈良で取っても大阪で取っても合格する科目は
カウントされる
*試験日が同一日でなければ
合格するチャンスが増える
*各都道府県の社会福祉協議会が開催している
安価に設定された試験対策講座がある

などの貴重な情報を教えてもらいました。

改めて「全資格ハンドブック」を見ていたら
「実技」があり絵画はまだしも
ピアノ・独唱・ソルフェージュと書いてある!!

人前でピアノ弾く?歌う?弾き語る?
  うわーーー!絶対無理!!(´□`。)

と反射的に思いました。

この話をすると「今の西川さんから考えられない」と
皆さんびっくりしますが

当時の私は
「緊張するようなことは辛いから避けたい。
失敗したら恥ずかしいからそもそも挑戦しない。」
…という人間でした。

小学校までの通知表には
「明朗快活」「発言力あり」とは書かれてましたが
「失敗したら怒る」母親だったのと
ええカッコしぃだったので
とにかく失敗して恥ずかしい思いをするのは嫌でした。

また住んでた地域は時代の影響もあって
「出る杭は打たれる」=目立つと嫌われるところで
とにかく「おとなしく同調するのが得策」が身に付いていました。

結婚してからは「家事をきちんとできる妻」
「気の利く嫁」になりたかったし

子どもを産んでからは
「子どもとよく遊ぶ優しいお母さん」になりたかった。

なのに、そうはなり切れずに
いつも不安で自信がなかった…。

実技??無理無理!私には無理!

と、これまでならなってましたが
なぜかこの時だけは違いました。

 私、ここを乗り越えなければ
   もう一生このままになる!

と思いました。

「一生このまま」の恐怖感の方が強かったのです。

親切なNさんが、
「自分はもう合格したし、背中を押してくれたお礼です」と
使っていた教科書や講習会のノート、
過去問などすべて送ってきてくれました。

実技試験講習会もあることが分かりました。

当時、我が子達を自然のなかで存分に遊ばせるために
入会した森林ボランティア団体の代表から
(余談ですが、森林ボランティアは以後20年続くライフワーク)

「そんなん結局、自分がどうなりたいか、ですよ。
40前で子ども2人抱えて離婚して
看護助手しながら働いて看護師になった人を僕は知ってます。」

と少々厳しいことを言われました。

保育士試験、
3年かけていいなら全ての科目合格できそう…

やっとそんな風に思えて
離婚への暗黒計画(笑)が発動しました。

つづく

ここまで読んで下さって謝々多謝キラキラ

奈良|大阪 パーソナルトレーニング
中高大生アスリートのカラダの育て直し専門トレーナー
矜恃ノススメ 西川菜緒子