こんにちは。
中高大生アスリートのカラダの育て直し専門家
スポーツ整体トレーナーの西川菜緒子です。
西川が
「今なぜこんな仕事をしているか」
「どんな人なのか」
知ってもらおうという自分語りシリーズです(〃∇〃)
ものすごく長いので恐縮ですが、よかったら読んでみて下さい。

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論語の子曰く… の有名な一節。
十五にして学を志す
三十にして立つ
四十にして惑わず
15歳で点取り屋の勉強しかせず
30歳で自立できなかった私は
自立するため保育士試験に合格し
その後、介護関係の資格も複数取得しました。
しかし40過ぎても、まだ惑っていました(泣)
自分に向いていて
自分も好きなことって何?
資格を活かせる職場はあるのに
そこで働いても
どこかミスマッチに感じる自分がいました。
走り始めて楽しくなって、頑張ったら故障して
必死で通ったリハビリ室。
そこで見たトレーナーさんの仕事ぶり。
「こんな仕事いいなぁ。
自分の知識で
直接人の助けになれて喜ばれて…」と思いました。
そこから「なりたい!」とまで思うようになったのは
今でも現役サッカー競技者の息子たちに起因します。
※詳細は[息子が導くトレーナーの道]
長男が中2のとき骨折しサッカーができなかった6ヶ月間、
身体づくりに取り組んだところ県代表に選出され
次男も一時離れていたブランクはあったものの
県代表に選出されました。
そうしたいきさつがあって
同期や先輩後輩、そして保護者の方々から
トレーニングについて相談を受けるようになりました。
当時、すでに数回故障していた私は
走れないジレンマや体重増(←これ私には深刻)、
復帰してからの思うように動けない苦しさが
あまりにも良く分かるので
怪我して停滞を余儀なくされ
困って悩んでいる選手たちを見ると
なんとかしてスムーズに復帰させてあげたい!
と強く思うようになっていました。
「トレーナーっていいなぁ。
なりたいなぁ。」と思ったものの
はて、どうやったらなれるのか???
リハ室の女性トレーナーさんに
なぜこの仕事を?と尋ねてみたら
~大学在学中にトレーナーを志し、渡米して資格取得、
帰国後は某自治体の運動事業を立ち上げ
その後スカウトされこの病院に…~
それはそれは素晴らしい経歴で
なれる気がしなくなってきました⤵
今から単身アメリカとかよう行かん…
私みたいな途中から体育会の人間には
輝かしい実績もない。
仕事にするには誰もが分かる資格が要るよね…
やはり医療系の資格かな…
看護師(これは昔からなりたかった)
柔道整復師、鍼灸師、理学療法士…
でも一人前になるまでに
何年かかるんやろ?50歳くらい?
今はスポーツトレーナー志望の若い子があふれてる。
運動の世界で女で50歳?
仕事なんかあるやろか?
物事には始める旬があって
今回はさすがにその旬は過ぎてるんかも…
保育士合格以来
がんばったら叶うって思ってきたけど
世の中にはあきらめなあかん時もあるという
私にもそれが来てしまった…?
悲しく頭の中でくるくる考えてばかりいました。
当時は知的なハンディがある方々が通い働く場所
=障がい者の授産施設で
利用者さんを支援するという仕事をしていました。
言葉が通じなかったり、通じても話が通じなかったり、
しかも一人一人の性格、障害の個性があっての支援。
非常に心の骨が折れる仕事で
ストレスが食べる方向に向かい体重が増えました。
ここでの仕事は
「口で言って通じるなんて甘い。
自分の思うように動いてもらうには
相手が動きやすい工夫と準備を自分がしておくのだ」
ということを学べました。
(この考えは後に身体を作るということにも通じていきました)
しかしトレーナーになりたいという想いは
完全によどんで止まっていました。
そんなある日のこと。
長男の中学サッカー部での先輩(当時高3)とメールで
やりとりする機会がありました。
その男の子、ちょっと高校で“やらかして”
しかも妙な意地を張って退学しそうになっていたので
そうならないように説得していました。
(私はどうしたことか昔から
年代を問わず人から相談されることが多いのです)
その流れで説得していた立場の私が
自分のよどんだ現状をメールで吐露したところ
その子から思わぬ返信が返ってきました。
「俺にとってのおばちゃんは
昔から明るくて元気で
普通の人がしないようなチャレンジをしてきた
おもろい人やから
あきらめるとかそんな寂しいこと思わんとき。
俺も高校は続けるようにする。
夢に向かって頑張るからおばちゃんも頑張ってな!」
無口なその子がくれた文面は
あまりにも意外でビックリしたのですが
あぁそうか、小学生の頃から知ってるこの子には
私はこんな風に映ってたんやと
有難くてじーん…となりました。
そしてむくむくと力が湧いてきました(←単純!)
まさに「気を取り直す」って状態。
そこにきて、ちょうど同じ時期
職場のこもごもが虚しく疲れ
ついつい友達に愚痴を並べてしまったとき
その人からキツーい一言を放たれました。
「人間24時間、時間だけは平等に与えられていて
それをどんな風に使うかはその人次第。
短い人生、限られた時間で何を優先すべきか?
それは結局その人次第。
私は毎日それを考えて生きてる。
優先順位を考えもせず
もったいない過ごし方してるのは
他でもない菜緒子さん自身でしょ?!」
ぐうの音も出ませんでした。
とても傷ついてしばらくは落ち込みましたが
落ち着くと「その通りやな」と思えました。
本当にやってみたいことが出来たのに
私はこんなとこで不満抱えながら暮らして
時間を無駄遣いしてる。
もうそんなこと、やめとこ!
そう決意できて退職の手続きを取りました。
アメとムチが同時期に降りそそいだようなものですが
思い切り背中を押してもらえました。
どうやったらトレーナーになれるか?
どんな手段があるか分からないけど
とにかく調べつくしてみようと片っ端から資料請求しました。
そうして退職したその年、初めてのフルマラソン大会。
第1回奈良マラソンに出場しました。
ひたすら量をこなす練習に明け暮れ
本番までの3カ月間で900㎞走っていました。
初めてのフルマラソンは4時間16分台で完走。
アップダウンの多いコースで
最後の8㎞くらいから右の脛(すね)が痛くて
結果的にシンスプリント(脛骨過労性骨膜炎)になってしまいました。
それまで通っていた整形外科の主治医と
担当の理学療法士に「???」と疑念を持ってしまったこともあり
スポーツ専門の整形外科に通うことを決意。
そこでは私に
運命的な出会いが待ち受けていました。
まだつづく…
ここまで読んで下さって謝々多謝![]()